Archive for 1月, 2012

親友よ、安らかに……。

オレは(の)から莫大な遺産を受け継ぎました。 碇マダオくん、ゴラさん、そしてモバ校のみなさんという、 オレが生涯使い切ることができないほどの遺産を。 みなさんこんにちは、HANZOです。

1月8日 この日は(の)のお通夜だった。

この日の朝、オレは夢を見た。 会社(工場)で検査している夢だった。 だけどなぜか建物はオレの母方のおばあちゃんの家にそっくりだった。 ふと左斜め前を見ると、(の)がいた。 アイツは定時前の4:20頃に帰宅しようとしたので、オレは慌てて呼び止めた。

オレ「おい(の)、今日はおまえの通夜で明日は告別式なわけだが……もうおまえとは会えないのか!?」

オレはそう問い詰めた。すると(の)はいつも通りな感じで言った。 (の)「いや~? そんなに深く考えることでもないんじゃね? また会えんじゃねーの、多分」

そう言われた直後、オレは目が覚めた。

目が覚めた後の、絶望感と言ったら、半端じゃなかった。 全身だるくなって、涙があふれてきたのを覚えている。

PM4:10 自宅に自分の両親を呼んでおいたので、オレは二人に娘を預け、カミさんと向河原へ向かった。 この駅から徒歩十分ぐらいの所に(の)の自宅がある。 そしてオレはカミさんを連れて(の)の家にやってきた。 数々の思い出が過ぎる。

そういえば、家の中の明かりが点いていたな。 お母さんがつけっぱなしにしていたのだろうか?

名残惜しいが、オレは会場へと向かった。

少しばかり道に迷ったが、なんとかお寺さんに到着できた。

PM5:30

オレは受付を済ませ、葬儀会社の人に言った。 故人のお母さんにお渡ししたいものがあるのですが、と。 受付を終えた後、オレはお母さんと対面した。 恐らく8年ぶりだろうか。

オレは持ってきたDVD-ROMとUSBメモリ(中身は同じ)、プリントアウトした写真を入れたアルバム、 そして自分の連絡先を書いた自作の名刺を渡した。 (の)のお父さんとお母さんの泣き顔なんて初めて見た。 これが……アイツの結婚式での嬉し涙だったらどれだけよかったことだろう。

オレはしばらくお二人と話をさせていただいた。 そして……お父さんのご厚意でお棺の中にいる(の)の顔を見せていただけることになった。

……足が震える。

……イヤだ、見たくない。

……そうだ、ここでドッキリでしたって言うんだろ? そうだろ?

……は、早く誰かネタ晴らししてくれ!!!

そんなことを考えながら、オレは棺に近づいた。

……いた。

なんだ、寝てるんじゃないか? ちょっと顔ほっそりしているけど、寝てるだけだろ?

オレは言った。 オレ「(の)、起きろよ~。寝てるんだろ? お~い……」

 

返事なんか、あるわけがない。

…………………………アイツは死んだんだから。

うわあああああああああああああああああああああああっ!

気付いたら、オレは親族が座る椅子にフラフラっとしながら座っていた。 とめどなく溢れる涙がとまらなかった。

何度も、(の)のお父さんとカミさんに優しく肩をぽんぽんと叩いてもらった。

でも、オレの口からはうわごとのような言葉しか出なかった。

『なんで死んだ! なんで死んだ! なんで……なんで……』

しばらく泣いた後、落ち着くためにタバコを吸いに行った。 そのあと、トイレを借りた。

トイレから出てみると、すでにずらっと参列者が並んでいた。

オレはここでダンナやシンちゃんと会った。 ジュンもいた。G藤もいた。 高校の時の担任だったM田先生も、副担任だったS藤先生もいた。 そしてモバ校のみなさんとも会えた。

知っている人も多いが、オレは去年の2月に鬱病と診断されている。 精神的ショックのせいだろうか、かなり胃が痛くなってしまった。

しばらく受付横で休ませてもらったあと、オレはご焼香の列に並んだ。

するとその時偶然、居酒屋ちょんまげの店長、ヤンさんと会った。 電話した時は会場の住所しか伝えられなかったけど、無事に来られたことに安心を覚えた。

しばらくヤンさんと会話をしながら焼香の列を待った。 そしてご焼香。……また、涙があふれてきた。

お焼香を済ませた後、みんながいるであろう食事をするところへ移動した。 その時、昔のバンド仲間のあっちゃんの姿を見た。 彼もまた、無事に来れたらしい。ただ、用事があったらしく、すぐに帰ってしまったけれど。

ふと、ダンナの姿がない。 シンちゃんに聞くと、喫煙所にいるという。

オレはヤンさんをつれて喫煙所へ。 ようやくダンナとヤンさんが対面できた。

しばらく話をしたあと、オレたちは食事をするところへ。

同級生たちとしばらく話をしたあと、オレは碇マダオくんを見つけた。 彼はいつも明るい。オレの気持ちが少しだけ、楽になった。 なんだ、コイツ? 癒し系なのか?w

そしてモバ校の人たちとも正式に挨拶をすることができた。 みふぃさんとも、久しぶりの再会。 最後に会ったのがいつだったかも覚えていないぐらいだ。 っていうか、みふぃさんって、あんなにイケメンだったっけ?w

しばらくして、オレはまたタバコを吸いに行った。 すると、和尚様の読経が終わった直後だった。

……友人をお母さんに紹介するのは今がチャンスだ、って思った。

オレは慌てて碇マダオくんとUほさんを呼んだ。

少しお邪魔だったと思ったが、友人を何名か紹介させていただいた。 気付けば、何人もの友人が(の)の棺の前にいる。

あぁ、(の)にはこんなにたくさんの友達がいたんだな、なんて思っていたが、 同時にここにいる人たちはオレの友達でもあるんだってことを思い知らされた。

ダンナや、あとこの日来れなかったもぐたんとかが、オレの精神状態をかなり心配してくれていた。 だけど、この仕事……(の)のご両親に友人たちを紹介する、ってことはオレにしかできないことなんだ。 BAKARA=SEA、同級生、会社の人、モバ校のみなさん、そして(の)のご両親…… すべてに接点を持っているのは、(の)以外にはオレだけ。 正直、もうすでに限界は超えていたけれど、オレが倒れたら、誰がこの仕事をできるんだ! オレはそう自分に言い聞かせながら、なんとかみんなを(の)のご両親に紹介することができた。

みんなは、お焼香の時に見ることが出来なかった棺の中の(の)の顔を見て行った。 当たり前だけど、みんなつらそうだった。 やっぱり、泣き出す人もいた。

……オレは、もう見ることができなかった。 見なくても、オレの脳裏にアイツの顔は焼き付いている。 頬はやせこけ、無精ひげもそのままに。 そしていつもかけていたメガネはない。

人間、死ぬと表情が変わるってよく言われるけど、本当だって思った。 だけど、間違いなく(の)本人だった……。 信じたくないけど。

挨拶を終えたオレは、再び食事をするところへ。 もうフラフラで、シンちゃんの肩を借りて歩いていた。 すでに胃が痛くてしんどかった。

食事するところに戻ったら、カミさんに「無理しやがって」とか言われたっけ。 今、無理しなかったらいつ無理すりゃいいんだつーの。

しばらくして、ようやく気分が落ち着いてきた。 好物の寿司をいただくことにした。 食欲がなくても、うどんと寿司は割と食えるんだ。

ふと、ウニの軍艦を見た。 そういえば、回転ずしに行った時に(の)の前にシンちゃんがウニの皿おいて (の)「うわぁああ! 俺ウニだめなんだよぉ!!!」 って、叫んでたことがあったっけ。 なんか昨日のことみたいだ。 結局、ウニときゅうりが一緒に乗ったのが食えるのはBAKARA=SEAでオレだけなんだっけ。 色々思い出、蘇るなぁ。

食事をしながら碇マダオくんと話をした。

どうやら、(の)の死因は『敗血症』だったとのこと。 高校の時から糖尿病を患っていて、なおかつ風邪をひいてしまったらしい。 体力が著しく低下すると、ショック死してしまうこともあるという。 まぁ、オレは医者ではないので詳しくはネットで調べてほしい。

碇マダオくん曰く、最近は視力の低下も悪化してきたとのこと。 もしかしたら、片目はほとんど見えていなかったんじゃないだろうか? とも言っていた。 そんなに悪かったなんて、全然知らなかったから唖然とした。

アイツは高校生の時から、明らかに体調が悪そうだぞ、医者に行けよ、って言っても (の)「いやいや、大丈夫だいじょぶ」 の一言で済ませるヤツだった。 ほんっと、誰の言うこともきかないヤツだったよ。 そういえば、以前よく見たインスリン注射も最近はやっているのを見なかったな。 碇マダオくんの話だと、もう二年ぐらいやってないとか言ってたし。

おまけにアイツ、甘いものが好きだった。 酒も主に甘いものばっかりだった。 ジーマ、カルピスサワー。 そして最近は杏露酒ソーダばっかり飲んでたっけ。

もぐたん以外のモバ校のみなさん、そういや(の)の好物しばりで お通夜の後にちょんまげ行ってたみたいだけど、杏露酒は知らなかったのかな?

まぁ、こんな食生活ばっかり送っていた上に、 傾いた家で独り暮らしだったんだ。

………………こんなことになるんなら、独り暮らしするって言った時に猛反対するんだった(涙

悔やんでも悔やみきれない。

お通夜の話に戻る。 ダンナ、シンちゃんが帰ったあと、S木の兄やんがやってきた。 彼は高校の先輩であり(当時面識はなかったが)、オレの現在の職場の先輩である。 そしてよくちょんまげで笑い話を繰り広げていた人だった。

しばらく食事を続け、話をした後、オレは一服して会場を後にした。 残っていたのは、オレとカミさん、S木の兄やんと碇マダオくん、そしてモバ校のみなさんだけになっていた。

ざっと150人ぐらいいた参列者は、いつのまにか皆帰っていた。 えらく寂しい風景だったのを覚えている。

オレたちはそのまま会場を後にした。 そして駅でみんなと別れた。

上に書いた通り、モバ校のみなさんは思い出の店「ちょんまげ」で アイツのことを肴に飲み会をしていたらしい。 オレも次の日休みだったら、参加したかったんだけどな。

もっとも、家には娘と両親がいるので、どのみち無理だったかもしれないけれど。

そして次の日、1月9日。 告別式の日。 友人の何名かは火葬場まで行ったようだった。 オレはこの日、どうしても仕事を休めなかった。

まぁ、火葬されたアイツを見たら、今度こそ精神的に最悪になってぶっ倒れてしまったかもしれないので、 きっとこの方がオレのためだって、神様がオレに与えた運命なんだろう。

もしくは、これがシュタインズ・ゲートの選択、ってやつだw

ちなみに昼休み終わりの時、オレはお寺の方向に向かって合掌した。 生まれ変わったら、またちょんまげに行こうな、って思いながらwww

 

さて、当日のお話はここで終わりです。 ここからは未来のお話をしたいと思います。

ひとりの大親友を失った代わりに、オレはたくさんの友達との絆を深めました。 まだ会ってから数回の方もいるので、そんな方を友達と呼ぶのも失礼かもしれませんけれどね。

そういえば、ツイッターもにぎやかになりました。 ずいぶんフォローとフォロワーが増えました。 これも、(の)のおかげだと思っています。

そして、オレはここで提案したいと思います。 BAKARA=SEAは永遠に5人です。 ダンナ、ハヤト、ハンゾウ(オレ)、シンちゃん、(の)。 この5人でBAKARA=SEAであることに変わりません。 だけど、もう(の)は来られない。 さみしい思いをしながら4人だけで飲むのはつらいと思う。

だから、オレは碇マダオくんを『第6のメンバー』として迎え入れたいと思います。 ……こらそこ、XJAPAN? とか言わないw

ダンナとシンちゃんは賛成してくれました。 そして、この文章を打っている今、ハヤトからメールの返事をもらいました。

 

碇マダオくんを、正式にメンバーとして迎えようと思います!!!

 

まだ、オレはしばらく心沈んだままですが、もう少し経って落ち着いてきたら、 また『ちょんまげ』で飲みたいと思います。

通夜当日、オレの体調を心配してくださった方々、本当にありがとうございました。 なんとか今、オレはギリギリの所で生きている感じです。 でもまだ死にたくないんでw よく冗談で、オレはアイツにこう言いました。

オレ「オレは200歳まで生きる!!!」

こんなくだらない冗談が、アイツは大好きでした。

いつかまた、みんなでちょんまげで大声で笑える日が来るのを祈っています。

だけど、しばらく泣かせてください。

な、もういいだろ? (の)よ。もうオレ限界なんだからさ。 泣かせてくれよ……な。

最後に。

しばらくの間、天国でひとり寂しい思いをするかもしれないが、 数十年経ったら、うんと賑やかにしてやるよ、(の)。 だからそれまで……世界中を旅してみるといいさ。

 

長文、失礼いたしました。

2012年最初のブログ

あけましておめでとうございます。 ども、HANZOです。

と、いう書き出しで始めたかった本年最初のブログですが、 残念ながらまったくめでたくなくなってしまいました。 単刀直入に言います。 親友が亡くなりました。

このブログでは「アスマ」で登場したことがありますが、 ツイッターでは(の)というハンドルネームのヤツでした。

以下、(の)の職場の後輩である「碇マダオ」くんから聞いた話です。

2011年12月29日 この日の(の)はなんだか体調が悪かったらしい。

2011年12月30日 やはりこの日も(の)は体調が悪かったとのこと。 そして職場を退社してから実家に行く予定だったそうです。 しかし、どうやらあまりにも体調が悪くなり、自宅(一軒家で独り暮らし) に戻り、そこで眠ってしまったとのことでした。 ご両親は(の)が実家に来ないので彼に電話をしたら 「体調が悪いので少し寝てからそっち(実家)に行く」 と言って電話を切ったそうです。 そしてその後、ご両親は旅行に出かけたのだそうです。

……思えば、これがすべての間違いだったんです。

2012年1月2日 旅行から帰ってきたご両親が異変に感づいたのです。 どうやら(の)が実家に来た形跡がない。 そして(の)に電話をしたらばバッテリー切れを知らせるメッセージが。 ご両親は慌てて(の)の自宅に行き、合い鍵で家の中に入ったらしいのですが

……そこに、布団の中で冷たくなっていた(の)の姿があったそうです。

 

……以上が、オレが「碇マダオ」くんから聞いた詳細です。 もちろん、自分が見たわけではなく、又聞きなので食い違ってる情報もあるかもしれません。 さらに、死因ですが病死だと思います。しかし、詳しい内容はわかりません。

ただ、これだけは事実なんです。 (の)、はもうこの世にいない………………。

 

葬儀に参加される皆様へご連絡いたします。

(の)の通夜は1月8日(日)の18;00から。 告別式は次の日1月9日(祝)12時~13時です。 ちなみに場所は川崎市中原区にある『無量寺』という場所だそうです。

会場住所:神奈川県川崎市中原区中丸子498

 

……正直に言う。 オレはアイツの葬式になんか行きたくねぇ!!! アイツが死んだってことを受け入れなきゃいけないじゃないかっ! ……だけど、行かなかったら行かなかったでオレは残りの人生 でずっと後悔するだろうと思う。 だから……つらいけど……本当につらいけど、オレは行ってくる。 現実を受け止めて、強く生きて行こうと思う。

 

※以下、自分の日記になります。  詳細だけ知りたかった方はこの先長文になりますのでご了承ください。

2012年1月3日 コミケ一日目にも行けたし、大晦日にはダウンタウンの番組で大笑いし、 正月は自宅でゆっくりと過ごし、2日はオレは家族を引きつれて実家でおせちをごちそうになった。 それなりに充実した正月休みを過ごせてそこそこ満足していました。 この日は臨時で出勤することになったのですが、仕事量も少ないのでゆっくり過ごそうと思っていました。

そんな時、出かける直前に自分のケータイに着信があったことに気付きました。 ひとりは高校の同級生の「I田」。もう一人はこのブログに以前「コフィン」の名前で出てきた現HN「鳥兜」こと、 通称ダンナ。

よく見ると、ダンナからメールも入ってる。 「なんだなんだ? 正月早々飲み会の知らせか?」 なんて思いながらメールを開いた。 この直前までは、オレかなりご機嫌だったと思う。

そしてメールを開いて愕然とした。

ダンナ『俺も混乱しているのでとりあえず連絡だけ。(の)が亡くなったそうです』

……はぁ!?

うううううう、うそだ! うそだって言ってくれ! 誰かウソだって言ってくれ!!!!!

オレはそう言いながらまだ眠っているカミさんのトコへ行った。 オレがあまりにもうろたえてるので、何があったの? と何度も聞いてきた。

オレはそっとカミさんにメールを見せた。

カミさんは……オレ以上に驚いていた。

とにかくもう朝の7時半近い。 出発しなければ遅刻になってしまう。 オレは精神的にかなりショックを受け、なおかつパニックな状態で仕事へ向かった。

その日、仕事中はケータイが鳴りっぱなしだった。 メールが来たり、電話が来たり。 内容はみな、同じだった。 とりあえず、仕事の合間を縫って、連絡できるヤツにはしておいた。

仕事中だったけど、ハヤト(彼もまたオレやダンナと同じグループ『BAKARA=SEA』の一員である) にも電話した。 さすがのアイツも驚きを隠せなかったみたいだ。 『オレら(BAKARA=SEA)の中で最初に逝くヤツはアイツ(の)だろうな、なんて昔言ってたけどよ…… はえーよ! 早すぎるんだよっ!』 なんて会話だったような気がする。

そして、その日は定時の午後5時で仕事を終えた。 カミさんの顔は涙でぐしゃぐしゃだった。 「カレーライスの玉ねぎ切ってたんだよ」 なんて強がり言ってたけど、こんな時ぐらい素直になりゃいいのに、まったく。

そして帰宅して夕食後、オレは気付いた。

(の)には結構な人数の友達がいる。 大きくわけて4つ。

BAKARA=SEA……ダンナ、ハヤト、オレ、シンちゃん、そして(の)で結成されている飲み仲間。 ちなみに高校の同級生で、修学旅行の時に同じ部屋になった時から現在まで続いていた親友グループだ。

モバ校のみなさん……Mぐたんさん、Uほさん、Uほの奥さん、Mロさん、など。 (の)がネット関係で知り合った仲間たちだという。ちなみにオレは割と面識がある。

(の)の職場の人……碇マダオくん、アスコラKさん この二人とはオレは面識あり。

BAKARA=SEA以外の同級生と先生……以前同窓会で再開した仲間。主にツイッター名『ぱしり』と『I田』もここに含まれる。

 

……改めて、あいつの人脈の深さを知る。 オレより友達多いじゃん、アイツ(笑 その全員を悲しませやがって……ホント、ツミなやつだよ、あの馬鹿野郎は。

そして、思い知ったことがある。 (の)の次にこれらの人脈、さらに(の)のお母さんにも連絡取れるのはオレだけなんじゃないか!?

そう思ったオレは使命感に駆られ、出来る限りのことをしました。 『何カッコつけてんだよ!』なんてこと思われたかもしれませんが、そう思いたい人はそう思えばいいさ。 少なくとも、上にいる人たちはオレが先だって動かないとパニックになる可能性もあるだろうし。 とりあえず、ほぼ連絡は行きわたりました。

自分の両親にも伝えました。また、通夜当日には娘を預かってもらうことになりました。 父さん、母さん、感謝します。

自分の弟にも伝えました。 コイツもまた、(の)とは2~3回居酒屋ちょんまげで仲良くしてくれました。

自分が以前バンドやってた時のベーシストだった『あっちゃん』にも伝えました。 彼もまた、(の)と数回ちょんまげで飲む仲間でした。

某ゲーム会社のシナリオライターHさん(もうバレバレだけど)にも連絡しました。 やはり彼も2~3回ではありますが、一緒にちょんまげで飲んだ仲でした。

オレの会社のS木の兄やんにも電話しました。 彼ともよくちょんまげで飲んでました。 ちなみにオレは兄やんに電話した時号泣してしまったのを覚えています。

そして、いてもたってもいられなくなり、 オレはオレたちいきつけの居酒屋『ちょんまげ』に電話をしました。 店長の楊さんに連絡しました。 (の)の訃報を聞いた瞬間、「えーーーーーーーー!? マジでーーーーーーーー!?」と 大声で驚いていました。 自室の隣の寝室にいたカミさんがその声を聞いていたので、 かなり大声で驚いていたんだと思います。 もしかしたら、お店にいた従業員さんやお客さんはびっくりされたかもしれません。

自分が連絡したのはそれぐらいでしょうか。

残念ながら通夜、および告別式当日に来られないメンバーもいます。 でも、それも仕方ありません。 だって、あまりにも急に亡くなったんだから。

 

 

正直、オレは今でも心の準備が出来てないです。 シュタインズ・ゲートの世界が現実なら、タイムリープしてアイツを助けに行きたい。 デロリアンのタイムマシンがあるなら今すぐ2011年12月30日に戻りたい。 でも、やっぱり無理なんです。悔しいかな過去は変えられないんです。

仕事中は頭の中でXJAPANの「With out you」が流れまくってました。 そんな精神状態を察してか、親友たちはオレの体調のことを気遣ってくれています。 なんでそんなに心配されるのかって思うけど、そうか、オレは鬱病って診断されたんだっけ、 なんて思うぐらい、今ちょっと混乱しています。

 

とりあえず、今は少しだけ落ち着きました。 子供の頃、おばあちゃんを亡くした時みたいにワンワン大泣きして 熱出して3日間寝込む、みたいなことにはならないと思います。

でもやっぱり、つらい。 つらすぎる……。 失ったものは大きすぎるんだよ! 誰も、アイツの代わりになんかならないんだよ!

5人揃ってのBAKARA=SEAだろうがよ!

いつかみんなで旅行しようって言っただろうがよ!

またアキバ行こうなって行ったじゃんかよ!

オレんちマンションに引っ越してから遊びに行くって言ったじゃんかよ!

またROMケット行こうなって言ったじゃんかよ!

またカラオケ行こうなって言ったじゃんかよ!

他にも約束、いっぱい、い~~~~~~っぱい、したじゃんかよ!

 

なんで、そんなに簡単に約束破るんだよ。 信じられないよ、ばかやろう!(涙

 

だけど、最後にこれだけは言っておくぞ!

 

 

おい、(の)!!!!!!!!!!

 

 

 

生まれ変わってもまた親友になってもらうからな! イヤだって言っても絶対親友になるからな! 絶対だぞ!!!

 

 

……長文失礼しました。 今のオレの心境は、こんな感じです。 不快に感じたら、申し訳ありませんでした。

それでは……。

最後に、ここまで読んでくださったみなさんへ。 ……しばらく、オレの心は晴れないと思いますが、そっとしておいてください。 そして、オレのこと心配してくださった方々、感謝いたします。